Bリーグ

「富樫勇樹からスタートを奪う」——19歳・瀬川琉久が本気で言い切った日、私は鳥肌が立った

2026年05月04日 · 読了 16分
「富樫勇樹からスタートを奪う」——19歳・瀬川琉久が本気で言い切った日、私は鳥肌が立った

2026年5月執筆|読了 約18分


2025年10月、シーズン開幕を前にしたインタビュー。千葉ジェッツの瀬川琉久は、個人目標を聞かれて一切の迷いなくこう答えました。

勇樹さんからスタート出場の機会を奪うことです

富樫勇樹。日本バスケ界のレジェンド。千葉ジェッツの絶対的司令塔。Bリーグの看板選手。その富樫に対して、19歳のルーキーが「スタートを奪う」と公言した。

礼儀知らずな若手の暴言? いいえ、違います。

瀬川琉久は、言葉で終わらせる選手ではありません。小学校の全国ミニバス大会で全勝優勝。中学の全国大会で優勝。ジュニアウインターカップで優勝。東山高校でインターハイ初優勝。高校生まで公式戦で負けを経験したことがないという、文字通りの「無敗伝説」を持つ男です。

その男が今、Bリーグという最高峰の舞台で、日本一のポイントガードに真正面から挑んでいる。

ホーバス前HCは瀬川をこう評しました。「特別な選手」「天井が高い」。

この記事では、19歳の超新星の全てを書きます。


魚崎のミニバスから始まった「無敗伝説」

瀬川琉久は2006年8月14日、兵庫県で生まれました。

バスケとの出会いは、神戸市東灘区の魚崎ミニバスケットボールクラブ。小学校時代からすでにポイントガードとしての才能が際立っていたようで、小学6年生の時に全国ミニバスケットボール大会に出場し、全勝で優勝しています。

小学校の全国大会で負けなし。この時点で、普通の選手とは違う何かが始まっていました。

神戸市立本山南中学校に進学すると、学校のバスケ部に加えてクラブチーム「ゴッドドア」にも所属。中学3年時の2021年、全国中学校バスケットボール大会で優勝。さらにJr.ウインターカップでも優勝

ミニバスで全国優勝、中学で全国優勝。ここまでの公式戦での敗戦はゼロ

「世代No.1ガード」という評価は、中学時代にはすでに定着していました。小学校のミニバス時代には「日本一のガードと呼ばれるようになりたい」と語っていたそうです。12歳の少年が抱いた夢を、19歳の今、現実の手の届くところまで引き寄せている。


東山高校——「無敗」の重圧と、涙の幕切れ

高校は京都の東山高校に進学。1年生から主力としてコートに立ちます。

東山高校での3年間は、「無敗伝説」をさらに積み上げる日々でした。

2年生(2023-24シーズン): 東山高校をインターハイ初優勝に導く。ウインターカップでは40得点を記録する爆発力を見せるも、準々決勝で福岡第一に敗退。ここで瀬川選手は、高校バスケで初めての「本気の悔し涙」を流したと言われています。

この福岡第一戦の後、瀬川選手はこう語りました。「崎濱さん(福岡第一のエース・崎濱秀斗)とは気持ち、責任と自覚が違った」。敗因を相手のメンタルの強さに求めた。この経験が、後の「メンタルの強さ」を追求する姿勢に繋がっています。

3年生(2024-25シーズン): インターハイでは再び東山を上位に導くも、ウインターカップでは再び涙の敗退。試合後、今後の進路について「まだ言えない」と語った瀬川選手の目には、悔しさと決意が入り混じっていました。

その「言えない」の答えが、翌月に発表されます。


高卒プロ入り——「NBAを目指すなら、Bリーグで結果を出す」

2025年1月4日。瀬川琉久は千葉ジェッツふなばしとプロ契約を結びました。東山高校3年在学中の特別指定選手としてのプロ入り

大学を経由せず、高卒でBリーグに飛び込む。この決断の背景には、明確な戦略がありました。

瀬川選手の最終目標はNBA。そのために何が必要かを逆算した時、「大学4年間を過ごすより、プロの世界で実戦経験を積む方が成長できる」という結論に至ったのです。

そしてなぜ千葉ジェッツだったのか。それは富樫勇樹の存在です。

日本一のポイントガードの隣で、毎日練習し、毎試合ベンチから学び、いつかそのスタートの座を奪う。NBAを目指すなら、まずBリーグで日本一のPGを超えなければならない。その最短ルートが千葉ジェッツだった。

加入後のインタビューで、瀬川選手はスコアリングガードとしての自覚をこう語っています。「加入した当初は『自由にやっていいよ』と言われました。でも、パスばっかりしていたら『パスをする選手だ』と評価される。最初から自分の持ち味を出すことが肝心だと理解していて、それを遂行できたのが今につながっています」。

グリーソンHCからも「お前が点を取りに行ってから次の展開がある」と言われているそうです。18歳のルーキーに「まず撃て」と求めるHC。そしてその期待に応える瀬川選手。このチームと選手の相性の良さが、急成長の土台になっています。


ルーキーシーズン——MIP受賞と「まさかこんな僕が」

2024-25シーズン後半、現役高校生としてB1のコートに立った瀬川選手は、すぐに結果を出しました。

22試合出場(うち8試合先発)。平均19分出場で7.3得点・1.9アシスト。

この数字を「7.3得点」と見て「まだまだだな」と思う人もいるかもしれません。でも考えてみてください。18歳の高校生が、B1のプロ選手を相手に、平均19分の出場時間をもらい、7.3得点を叩き出している。しかもチャンピオンシップでも起用され、「本当にルーキー!?」とB.LEAGUE公式が見出しをつけるほどの堂々としたプレーを見せています。

シーズン終了後、B.LEAGUE AWARD SHOW 2024-25で最優秀インプレッシブ選手(MIP)を受賞。壇上で瀬川選手は「まさかこんな僕が…」と驚きを見せつつ、すぐに表情を引き締めて「来季は新人賞を狙います」と宣言しました。

MIPを獲って「次は新人賞」。普通なら逆でしょう。でも瀬川選手にとっては、MIPはあくまで「途中経過」。目線はもうその先にある。


2025-26シーズン——「三銃士」の一角として

高校を卒業し、初めてのフルシーズンに挑んだ2025-26シーズン。

56試合出場時点で平均4.2得点・1.8アシスト・1.2リバウンド(11.5分出場)。ルーキーシーズンの7.3得点から数字は下がっていますが、これには理由があります。フルシーズンを戦う中での体力管理、チーム内での役割の変化、そして富樫選手・渡邊雄太選手という強力なバックコート陣との共存。出場時間は平均11.5分と限られていますが、その中でキャリアハイ21得点を記録する爆発力も見せています。

B.LEAGUE公式は、富樫勇樹・渡邊雄太・瀬川琉久の3人が60得点を記録した試合を「千葉J三銃士」と名付けて動画を公開。19歳のルーキーが、日本バスケ界を代表する二人と「三銃士」として並び称される。それ自体が異常な事態です。

ディフェンス面での成長も見逃せません。スティールの数やディフェンスのインテンシティが上がっており、攻撃だけでなく守備でも信頼を得始めています。


日本代表——ホーバスHCが認めた「天井の高さ」

2025年6月、日本代表のディベロップメントキャンプに招集された瀬川選手。ホーバス前HCの評価は、シンプルかつ強烈でした。

すごい頑張ってる。特別な選手

ハングリーさがある。19歳でしょ。これから

天井が高いと思います

ホーバスHCは瀬川選手の「負けず嫌い」な一面を特に高く評価しています。練習中に上手くいかない時のフラストレーションの出し方にも、「こいつは本物だ」と感じるものがあったそうです。

瀬川選手自身もキャンプの手応えをこう語っています。「アメリカでプレーする選手のスピードや考え方に刺激を受けた。でも、スピードやハンドリング、ドライブは通用していると思います」。19歳で、海外組相手に「通用している」と言い切れるメンタル。これは自信過剰ではなく、「無敗伝説」に裏打ちされた確信です。

2025年11月にはA代表の強化合宿にも初招集。目標に掲げた「日本代表メンバー入り」に着実に近づいています。


MIP&モテ男No.1——日本バスケ界のアイドルが誕生した日

2026年2月、B.LEAGUEの「モテ男No.1決定戦」で瀬川琉久がグランプリを獲得しました。16万9,263ポイントを獲得しての10代目グランプリ。千葉ジェッツ勢としては2年ぶり3度目の受賞です。

MIPとモテ男No.1の二冠。実力と人気の両方を手にした19歳。

ファンを惹きつけているのは、甘いマスクだけではありません。コート上でのアグレッシブなプレーと、インタビューでの素直で謙虚な受け答えのギャップ。「まさかこんな僕が」と驚いてみせる初々しさと、「富樫さんからスタートを奪う」と言い切る大胆さが同居している。

末っ子気質の親しみやすさと、勝負師としてのメンタルの強さ。このギャップが「推したくなる」理由なのでしょう。SNS時代のプロスポーツ選手として、瀬川選手は理想的なキャラクターを持っています。

2025年4月にはエンタメ大手のアミューズとマネジメント契約を締結。チームメイトの富樫選手と同じ「ファミリー」になりました。「バスケの魅力を伝えられるように頑張ります」。コート外でも日本バスケの価値を高める存在になりつつあります。


「涙の数だけ強くなる」——瀬川琉久のメンタリティ

ここで、この選手のメンタルについて少し掘り下げたいと思います。

瀬川選手は自身を「結構引きずるタイプ」と語っています。ミスをした後、悔しい負けの後、気持ちを切り替えるのに時間がかかる。一見すると、トップアスリートとしては弱点に見えるかもしれません。

しかし瀬川選手の場合、「引きずる」ことがそのまま「次への燃料」に変換されるのです。ウインターカップで福岡第一に敗れた時の涙。あの悔しさが、プロ入りの決断を早めた。ルーキーシーズンの限られた出場時間への不満。それが「富樫さんからスタートを奪う」という覚悟に変わった。

「涙の数だけ強くなる」。瀬川選手が語るこの言葉は、彼のキャリア全体を貫くテーマです。

公式戦無敗という「勝者のメンタル」と、負けた時に人一倍悔しがる「負けず嫌いのメンタル」。この二つが共存していることが、瀬川選手の最大の強みだと私は思っています。ホーバスHCが「ハングリーさがある」と評価したのも、まさにこの部分でしょう。


富樫勇樹と西村文男——19歳が受け取った「二つのバトン」

瀬川選手にとって、千葉ジェッツでの最大の財産は二人の先輩ポイントガードとの出会いです。

富樫勇樹選手からは「超えるべき壁」をもらいました。日本一のPGが毎日の練習で見せるプロフェッショナリズム。試合での判断の速さ、シュートの精度、チームを動かすリーダーシップ。全てが「こうなりたい」という目標そのものです。

西村文男選手からは「プロとしての姿勢」をもらいました。2025-26シーズンをもって現役引退を表明した西村選手は、瀬川選手より20歳も年上。「自分より20歳上という年齢で現役を続けてこられて、いろいろと質問させてもらいました。たくさんのことを学ばせてもらった以上、優勝して西村選手を送り出したい」。

19歳が35歳のベテランから学ぶ。日本バスケ界の世代の繋がりが、千葉ジェッツのロッカールームの中にあります。比江島慎選手が35歳でEASL MVPを獲るように、富樫選手が30代半ばでも日本一のPGであり続けるように。バスケットボールは年齢ではない。その真理を、瀬川選手は最も身近な場所で目撃しているのです。


NBAと2028年ロサンゼルス五輪——19歳が見据える「その先」

瀬川選手の最終目標は明確です。NBA。そして2028年ロサンゼルス五輪

NBAへの道筋について、瀬川選手は冷静に現実を見ています。「ベンチから出ている選手がNBAに行けるか」。この自問は、謙遜ではなく、戦略的な思考です。まずBリーグでスターターの座を掴み、日本代表に定着し、国際大会で結果を出す。そのステップを一つ一つ踏んでいくことでしか、NBAへの道は開けない。

2028年ロサンゼルス五輪。その時、瀬川選手は22歳。日本代表のポイントガードとして五輪のコートに立つ可能性は、決して夢物語ではありません。河村勇輝選手、齋藤拓実選手、富樫勇樹選手——日本のPG陣は層が厚いですが、22歳の瀬川選手がその競争に割って入れるだけの素材を持っていることは、ホーバス前HCの「天井が高い」という評価が証明しています。


瀬川琉久の「何」が、ここまで人を惹きつけるのか

この記事で書いてきたことを振り返ると、一つの答えが浮かびます。

瀬川琉久の最大の魅力は、「言葉と行動が一致している」ことです。

「日本一のガードになりたい」と12歳で言い、全国大会で無敗を続けた。「点を取りに行く」と言い、プロ初年度でMIPを獲った。「富樫さんからスタートを奪う」と言い、三銃士の一角として認められた。「日本代表に入りたい」と言い、A代表合宿に招集された。

言ったことを、やる。やったことで、次を語る。この循環が止まらない。

19歳。まだプロ2年目。キャリアは始まったばかりです。ここからどれだけ伸びるのか、正直誰にもわかりません。でも一つだけ確信していることがあります。

この男は、自分で言ったことを、必ずやろうとする。

「富樫勇樹からスタートを奪う」。あの宣言が実現する日が来た時、日本バスケは次の時代に入ります。

その日を、一緒に待ちましょう。


ばすけばか14より
瀬川琉久選手の成長を、一緒に追いかけましょう!
千葉ジェッツの試合、現地や配信でチェック!


この記事はB.LEAGUE公式、千葉ジェッツ公式、バスケットボールキング、バスケットカウント、Yahoo!ニュース等の公開情報をもとに、筆者が独自の視点でまとめたものです。事実関係には細心の注意を払っていますが、誤りがあればご指摘ください。2026年5月時点の情報に基づいています。