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35歳、EASL決勝で3P成功率60%。「比江島タイム」はまだ終わらない——Bリーグ最強のクラッチシューターの全記録

2026年04月29日 · 読了 22分
35歳、EASL決勝で3P成功率60%。「比江島タイム」はまだ終わらない——Bリーグ最強のクラッチシューターの全記録

20264月執筆|読了 18


2026年3月22日、マカオ・スタジオシティイベントセンター。

EASL(東アジアスーパーリーグ)決勝戦。宇都宮ブレックス対桃園パウイアンパイロッツ。

試合開始のジャンプボール。こぼれたボールに真っ先に飛びついたのは、35歳のシューティングガードでした。

比江島慎。背番号6。

その表情を見て、私は確信しました。今日はこの男の日だ、と。

そこからの10分間は、アジアバスケの歴史に刻まれるべき時間になりました。比江島が先制の3ポイントを沈める。もう1本。さらに高島紳司が3連続。開始4分で15-0。止まらない。第1クォーターだけでチーム全体で14本中10本の3ポイントシュートを成功させ、39-13という信じがたいスコアで最初の10分間を支配しました。

比江島個人はこの第1クォーターだけで14得点。3ポイント6本中5本成功。コーナーから決めた3ポイントの後には、セレブレーション——3本指を立てるポーズ——を披露する余裕まで見せました。

最終スコア90-81。宇都宮ブレックス、クラブ史上初のEASL優勝。千葉ジェッツ、広島ドラゴンフライズに続くBリーグ勢3連覇を達成。

そしてEASL Finals 2026 MVPは、比江島慎。

ファイナルズ通算:平均13.3得点、5.3アシスト、4.0リバウンド。3ポイント成功率60.0%

試合後のインタビューで、この35歳のベテランは満面の笑みでこう言いました。「めちゃくちゃうれしい」。セレブレーションについては「降りてきたっす。あれは”ボク”じゃない(笑)」と照れながらコメント。

35歳。B1通算7,000得点。EASL Finals MVP。この男のバスケ人生は、いまだに右肩上がりを描いています。


福岡の少年と青山学院——「世代ナンバーワン」の誕生

比江島慎は1990年8月11日、福岡県で生まれました。

191cmのシューティングガード。バスケを始めたきっかけの詳細は多くを語っていませんが、母への想いを深く持つ選手として知られています。後年のインタビューで家族への感謝を繰り返し語る姿は、この選手の人間性を表すものです。

百道中学から洛南へ——「試合に出たい」少年の覚悟の越境
小学校時代は古賀ブレイスというチームでバスケを始め、福岡市立百道中学校に進学。中学ではエースとして全国中学校バスケットボール大会(全中)に出場し、福岡県選抜にも選ばれています。中学時代から「1対1では無類の強さを誇る」プレーヤーとして頭角を現していました。
ここで比江島少年は、人生を左右する決断を迫られます。地元福岡には福岡大学附属大濠高校と福岡第一高校という二大名門がある。両校から推薦の声がかかりました。しかし比江島選手は、意外な選択をします。
「大濠は、本当に九州中のうまい選手が集まってくる高校なので、そのレベルでやれると思えなかった。試合に出られそうもないのでお断りしました」
全中でエースを張った選手が「試合に出られない」と判断するほど、大濠のレベルは高かった。ここで比江島選手は「名門のベンチに座るより、試合に出て成長したい」という道を選びます。全中で仲良くなった谷口大智選手(後に秋田ノーザンハピネッツ)と「一緒に行こうよ」と話し、京都の洛南高校への進学を決めました。
「洛南についてそんなに知らなかった。イメージがカッコ良いと思っていました。京都も好きでしたし(笑)。洛南だったら試合に出られるかな、という甘い考えで」
この「甘い考え」が、日本バスケ史上最高のクラッチシューターを生み出すことになります。

洛南高校——ウインターカップ3連覇と「冬の洛南」の伝説
洛南高校は、日本高校バスケ界の名門中の名門です。竹内公輔・譲次兄弟をはじめ、辻直人、笹山貴哉など数多くのBリーガーを輩出。伝統のプレースタイルは「パス&ラン」。速攻とチームプレーを軸に、個の能力をチームの中で活かす哲学を持っています。
比江島選手は入学後、あることに驚きます。「中学時代は自分の好き勝手に1対1を仕掛けていたんですけど、高校ではパス・アンド・ランや速攻が中心だった。最初は少し地味だなと感じましたし、好きなプレーを我慢するのは辛いなと思っていました。1対1が好きだったので『マジか!』って」。
しかし、この「我慢」が比江島選手のバスケを別次元に引き上げました。1対1だけでなく、チームの中で自分を活かす方法を学んだ。いつ攻めていつ味方に回すかの判断力が磨かれた。後に「比江島タイム」と呼ばれるクラッチ力の源泉は、実はこの洛南の「パス&ラン」の中で培われたものだったのです。
1年生(2006年): シックスマンとして第37回ウインターカップに出場。先輩の湊谷安玲久司朱がエースとしてチームを牽引する中、比江島選手はリバウンドや球際の強さで勝負するキーマンとして貢献。決勝では篠山竜青率いる北陸高校を破り、洛南優勝。
2年生(2007年): 辻直人と二枚看板を形成。第38回ウインターカップ決勝では28得点を叩き出し、福岡第一を78-73で下して2連覇を達成。この年、比江島選手は得点源としての地位を確立しました。
3年生(2008年): エースとして迎えた集大成の年。しかし順風満帆ではありませんでした。インターハイ準決勝で福岡第一に21点差の大敗を喫し、ベスト4止まり。「インターハイの二の舞になるのでは」という不安が、ウインターカップ決勝でも頭をよぎったと本人が語っています。
しかし「冬に強い洛南」は伊達ではありませんでした。国体では京都(洛南主体)が優勝し、チームの完成度を高めてウインターカップに乗り込みます。比江島選手は大会前にこう宣言していました。「インターハイから成長したところを見せたい。洛南は冬に強いんです」。
初戦から準々決勝までを全て100点ゲームで圧勝。準決勝ではインターハイ王者の延岡学園を70-58で撃破。そして決勝は、夏に21点差で敗れた因縁の相手・福岡第一。
第3クォーター終了時点で53-58、5点ビハインド。夏の悪夢が脳裏をよぎる展開でした。
しかし最終第4クォーター、比江島選手が覚醒します。このクォーター最初の得点を決めると、フルコートの1-2-2ゾーンプレスからスティール→速攻で1点差に。残り1分6秒、蛯名涼選手の速攻で71-69と逆転。
そして残り22秒。リバウンドを制した加藤寛樹選手からパスを受けた比江島選手が、得意のスクープシュートを放つ。ボールはリングの上でふわりと静止し——吸い込まれるように落ちました。
73-69。洛南、史上2校目のウインターカップ3連覇達成。
「あそこで決めてこそエースとして役割を果たせると思った」。18歳の比江島慎が語ったこの言葉は、35歳の今も変わらないこの男の哲学そのものです。
ちなみにこの3連覇、比江島選手は1年生の時から3年間全てウインターカップに出場し、全て優勝しています。そしてこの3年間のライバルたちの顔ぶれが凄い。篠山竜青(北陸→現・川崎)、狩野祐介(福岡第一→現・滋賀)、橋本竜馬・金丸晃輔(大濠→Bリーグ)。後のBリーグを支える選手たちと10代の頃から切磋琢磨していた。日本バスケ界の「黄金世代」の一角を担った3年間でした。
試合後、比江島選手はプレッシャーの重さについてもこう振り返っています。「試合が始まるまでは吐きそうだった」。コート上では常に冷静に見える比江島選手にも、極限のプレッシャーがあった。それでも「始まったら集中できた」と。この「スイッチの切り替え」こそが、後のプロキャリアでも比江島選手を支え続ける最大の武器になります。

青山学院大学——インカレ2連覇と「日本代表」への扉
大学は青山学院大学に進学。洛南の先輩・辻直人選手と同じ道を選びました。
青学では関東大学バスケットボールリーグの中心選手として活躍。インカレ(全日本大学バスケットボール選手権大会)では2010年と2011年の2年連続優勝に貢献。4年時の2012年には日本代表に初選出されています。
大学在学中から「世代ナンバーワンのシューティングガード」と評された比江島選手ですが、興味深いのは「大学時代が一番厳しかった」という本人の回想です。「その他の思い出がないくらいバスケ一色の生活だった」。洛南でウインターカップ3連覇を経験した男でさえ、大学の練習は別次元の厳しさだったということ。
しかしこの「バスケ一色の4年間」が、プロ入り後の即戦力としての実力を支えることになります。


シーホース三河——Bリーグ MVP、そして「比江島タイム」の命名

2013年、プロの世界へ。シーホース三河(当時NBL)に入団した比江島選手は、ルーキーイヤーからその才能を爆発させます。NBLルーキー・オブ・ザ・イヤー受賞。初年度から「この選手は違う」と関係者に印象づけました。

そしてBリーグが発足した2016年以降、比江島選手は名実ともに日本バスケ界のトッププレーヤーへと上り詰めます。

2017-18シーズン:B.LEAGUE MVP

この年の比江島選手は、文字通りリーグで最も影響力のある選手でした。3ポイントシュートの精度、ドライブの切れ味、そして何よりも「ここぞ」という場面での決定力。ファンはいつしか、試合終盤に比江島選手がボールを持つ時間帯を「比江島タイム」と呼ぶようになりました。

この異名には、単なるクラッチシュートの上手さ以上の意味があります。「比江島タイム」とは、試合の流れが膠着し、相手も自分も疲弊した状況で、最後に一段階ギアを上げられる能力のこと。体力ではなく、集中力の問題です。追い込まれた時にこそ研ぎ澄まされる感覚。それは才能であり、同時に「修羅場を何百回も潜ってきた」経験値の結晶でもあります。

三河時代にはBリーグベスト5に複数回選出、天皇杯優勝にも貢献。そして面白いデータがあります。B.LEAGUEが選ぶ「モテ男No.1」(2017-18シーズン)にも選出されています。コート上での凄みと、コート外でのチャーミングな人柄。そのギャップが、比江島選手のファン層の広さを生んでいます。


オーストラリアNBLとNBAサマーリーグ——世界を見に行った男

2018-19シーズン、比江島選手は海外に出ました。

オーストラリアNBLのブリスベン・ブレッツへの移籍。そしてNBAサマーリーグ(ニューオーリンズ・ペリカンズ)への参加。28歳という年齢での海外挑戦は、Bリーグの選手としては珍しい決断でした。

結果として、NBA入りは叶いませんでした。ブリスベンでのプレー機会も限定的だった。数字だけを見れば「失敗」と言う人もいるかもしれません。

しかし、比江島選手はこの経験をこう語っています。「世界基準を肌で感じることができた」と。フィジカルのレベル、ディフェンスの激しさ、スピードの次元。日本にいるだけでは体感できないものを吸収して帰国した。

この海外経験が、その後の比江島選手のプレーを一段階引き上げたと私は見ています。帰国後の比江島選手は、3ポイントシュートの精度が明らかに上がり、ゲームメイク能力にも磨きがかかりました。「世界」を知った男は、日本に戻ってさらに強くなったのです。

馬場雄大選手がGリーグ4年間の「生存戦争」でスタイルを変えたように、比江島選手もまた、海外経験を通じて自分のバスケを進化させた。挑戦の形は違えど、「外の世界を見て帰ってきた選手」は、例外なく強くなっている。


宇都宮ブレックス——「チームの顔」として掴んだ頂点

2019年、宇都宮ブレックスに加入。ここから比江島選手の「第二章」が始まります。

宇都宮での7シーズン。その中にはBリーグの歴史に残る瞬間が凝縮されています。

2021-22シーズン:B.LEAGUE優勝&チャンピオンシップMVP。

比江島選手にとって、プロ入り以来初のリーグ制覇でした。三河時代にMVPを獲りながらも、チームとしての頂点には立てなかった。その悔しさを、宇都宮で晴らした。チャンピオンシップMVPに選ばれたことは、「大舞台でこそ輝く男」の面目躍如でした。

2024-25シーズン:再び優勝。 前年のファイナルで本来の力を発揮できずに敗れた悔しさをバネに、ポストシーズンで平均18.7得点5.2アシストという驚異的な数字を叩き出し、1年越しのリベンジを達成。ファイナルでの復活劇は、ブレックスファンにとって忘れられないドラマになりました。

そして2025-26シーズン。34歳から35歳を迎えるシーズンで、比江島選手はB1通算56試合に出場(4月時点)し、平均11.5得点、アシスト4.3、FG45.6%、3P36.9%を記録しています。

「35歳で平均11.5得点」。この数字の意味をもう少し掘り下げます。30代半ばのシューティングガードが、Bリーグの先発レベルで毎試合二桁得点をコンスタントに記録し続けている。それは身体能力の維持だけでは説明できません。ゲームの読み方、ポジショニングの精度、シュートセレクションの賢さ——年齢を重ねたからこそ到達できる「効率の極み」がそこにあります。


B1通算7,000得点&2,000アシスト——数字が証明する「持続する偉大さ」

2025年に入り、比江島選手は立て続けに歴史的なマイルストーンに到達しています。

B1通算7,000得点達成(2025年4月、史上32人目)
B1通算2,000アシスト達成(2025年3月)

得点とアシストの両方でこの水準に達している選手は、Bリーグの歴史の中でも極めて限られています。得点力がありながら、味方を活かす能力も高い。齋藤拓実選手の記事でも書きましたが、「自分で行ける時は行き、味方に任せるべき時は任せる」判断力。比江島選手はそのバランスの達人です。

しかも、これらの記録は「一瞬の爆発」ではなく、13年間にわたる「持続的な高水準」の積み重ねによって達成されたもの。1シーズンだけ活躍する選手は珍しくありません。3シーズン続けられれば一流。5シーズン以上でトップレベルを維持できれば超一流。13年間——。比江島慎はもはや「レジェンド」と呼ぶべき存在です。


EASL決勝の全貌——第1クォーターの「完璧な10分間」

冒頭で触れたEASL決勝を、もう少し詳しく振り返ります。

2026年3月22日。マカオ。宇都宮ブレックスの先発は比江島慎、高島紳司、D.J・ニュービル、ギャビン・エドワーズ、グラント・ジェレット。

試合は、比江島選手の「気迫」で始まりました。ジャンプボールのこぼれ球に真っ先に飛びつく。35歳のベテランが、アジア決勝の舞台で最も高い集中力を見せている。その姿に、チーム全体が引っ張られました。

ジェレットのインサイドアウトパスを受けた比江島選手が先制の3ポイント。もう1本。高島選手が3連続で続く。15-0。相手はタイムアウトを取りますが、流れは完全に宇都宮のもの。比江島選手がコーナーからさらに3ポイントを沈め、あの3本指セレブレーションが飛び出します。

第1クォーター:宇都宮39-13桃園。 チーム3P14本中10本成功。比江島個人14得点。

その後、第2Qではペースが落ち、ニュービルがファウルトラブルに陥る場面もありました。第3Qには桃園の追い上げを受け、6点差まで迫られるシーンも。しかしその度に、高島選手の3ポイントやニュービルのフローターが流れを断ち切り、最終的にはリードを守り切って90-81で勝利。

比江島選手のファイナルズ通算スタッツは驚異的です。平均13.3得点、5.3アシスト、4.0リバウンド。そして3ポイント成功率60.0%。グループステージでも平均14.7得点を記録し、15本の3Pを沈めています。

さらにAll EASLチームにも選出。宇都宮からはニュービルと比江島が名を連ね、ディフェンシブチームにはニュービルと高島紳司が選ばれました。チームとしての完成度の高さが、個人賞にも反映されています。

島田慎二チェアマンは優勝に際し「Bリーグの競技力の高さを裏付ける結果」とコメント。EASL準決勝進出4チーム中3チームをBリーグ勢が占めたことも、日本バスケ全体の底上げを象徴する出来事でした。


日本代表——13年間背負い続けた日の丸の重み

比江島選手の日本代表キャリアは2012年の初選出に遡ります。

以来13年以上にわたり、日本代表の主力として国際舞台に立ち続けてきました。東京五輪出場、FIBAワールドカップ2023メンバー。アジアカップ予選では2025年にも招集され、新生代表のベテランリーダーとしての役割を担いました。

ある試合前に比江島選手が語った言葉が、ファンの間で大きな反響を呼びました。「この試合でもう僕は最後にしたいなと思います」。

この言葉には、様々な解釈があり得ます。しかし私は、これを「引退宣言」ではなく「覚悟の表明」だと受け取りました。毎回の代表招集が「最後かもしれない」という緊張感の中でプレーすること。35歳という年齢で日の丸を背負う重みを誰よりも理解した上で、それでもコートに立ち続ける覚悟。

河村勇輝選手、齋藤拓実選手、富樫勇樹選手——日本代表のポイントガードやガード陣は、若い世代も含めて層が厚くなっています。その中で比江島選手が「まだ呼ばれる」こと自体が、この選手の実力の証明です。35歳のベテランが代表に名を連ねるのは、「功労者枠」ではない。純粋に、この男がいた方がチームは強いからです。


「比江島タイム」は、なぜ35歳でも健在なのか

ここで一つ、私なりの分析をさせてください。

なぜ比江島選手は35歳になっても「比江島タイム」を発動できるのか。多くのシューティングガードは、30代に入ると身体能力の低下とともにクラッチシュートの精度が落ちていきます。反応速度が遅くなり、ディフェンスを振り切れなくなり、シュートの質が変わる。

比江島選手が違うのは、「クラッチ力の源泉」が身体能力ではなく「状況判断」にあることだと思っています。

接戦の終盤、両チームが疲弊し、ディフェンスの判断が鈍る。その一瞬の隙を見逃さず、最も効率の良いシュートを選択する。相手のスイッチのタイミング、ヘルプの遅れ、リングとの角度——全てを瞬時に計算して、最適解を導き出す。この「計算」は、経験を重ねるほど精度が上がるものです。

EASL決勝での3P成功率60%は、その究極の表れでしょう。打つべき場面でだけ打ち、打たないべき場面では味方を使う。その判断の精度が、尋常ではないレベルに達しているのです。


これからも見続けたい——日本を代表するシューターの「冷めやらぬ情熱」

比江島慎選手のキャリアを一言で表すなら、「持続する偉大さ」です。

NBLルーキー・オブ・ザ・イヤー。B.LEAGUE MVP。チャンピオンシップMVP。EASL Finals MVP。B1通算7,000得点。B1通算2,000アシスト。海外挑戦。日本代表13年。

どの一つを取っても、日本バスケの歴史に名を刻むに十分な実績です。それが全て、一人の選手のキャリアに凝縮されている。

しかし私が最も心を動かされるのは、これらの実績そのものではありません。35歳になっても「冷めやらぬ情熱」を持ち続けていること。EASL決勝の開始ジャンプボールで、35歳のベテランが真っ先にルーズボールに飛びつく。あの姿にこそ、比江島慎という選手の全てが表れています。

「バスケットボールは年齢じゃない」。

使い古された言葉ですが、比江島選手のプレーを見ると、この言葉が嘘ではないことがわかります。年齢を重ねるごとに「どうプレーするか」の質を高め、効率を磨き、判断を研ぎ澄ます。身体が衰える分を、頭脳と経験で上回る。その生き方そのものが、後輩たちへの最大の教科書です。

宇都宮ブレックスは今シーズン、EASL優勝という新たな勲章を手に入れました。そしてBリーグのシーズン終盤、チャンピオンシップへの戦いが続いています。その先にはBCLアジアという、さらなる国際舞台も待っている。

比江島慎の「比江島タイム」は、まだ終わりません。

次の勝負所で、あの3本指のセレブレーションを見届けましょう。


ばすけばか14より
比江島慎選手を一緒に応援しましょう。
宇都宮ブレックスの試合、現地や配信でチェック!


この記事はB.LEAGUE公式、宇都宮ブレックス公式、EASL公式、バスケットボールキング、Yahoo!ニュース等の公開情報をもとに、筆者が独自の視点でまとめたものです。事実関係には細心の注意を払っていますが、誤りがあればご指摘ください。2026年4月時点の情報に基づいています。