最近は、川崎ブレイブサンダースのyoutubeがバズっていることもあり、Bリーグをちゃんと見たことがない人でも知っている方が徐々にではありますが、増えてきているのではないでしょうか。
もともとシュートが得意な選手として認識していましたが、私自身も川崎ブレイブサンダースのyoutubeチャンネルで大塚選手の人間性を見て、ファンになってしまった人間の1人です。ww
川崎ブレイブサンダース 公式youtubeより
本日は、日本を代表する川崎ブレイブサンダースのシューターとして活躍する大塚選手について紹介していければと思います。
高校までは特別目立ったシューターではなかった??
大塚 裕土選手は、北海道名寄市の雪国生まれ。幼少期はスキーなどのウィンタースポーツに触れて育ったようです。
バスケットボールを始めたのは、小学校4年のことだったそう。
北海道の超名門 東海大学附属第四高校(現 東海大札幌高校)に進学し、高校3年時にはウィンターカップに出場を果たし、全国区の選手としてデビューしています。
ウィンターカップでは、小野龍猛(現 信州ブレイブウォーリアーズ)擁する國學院久我山(東京都代表)を前に99対81で屈し、ベスト16という結果に終わっています。
全国でも活躍を見せますが、当時はめちゃくちゃ目立ったたシューターという訳ではなく、最後の大会でも3ポイントシュートのアテンプト数1という内容でした。今の活躍を見ると意外でしかないですね。
名門東海大学へ進学
大学バスケの名門東海大学に進学を果たしますが、入学当初から現在のようにバリバリ活躍していた訳ではないようです。
Aチームに昇格したのは、なんと大学4年時だったようで、3ポイントシュートが際立って武器になってきたのがこの頃だったようです。
同期の古川孝敏選手(日本代表)、鮫島宗一郎選手らと共に2009年全日本大学バスケットボール選手権大会4位の成績を残し、インカレ出場を果たしています。
東海大学から即エリート街道まっしぐらというわけではなく、卒業後の2010年にJBLのリンク栃木ブレックスと契約を結び、ブレックスの下部組織であるJBL2のTGI D-RISEで2012年までプレーをしています。そういえば、宇都宮ブレックスの遠藤選手も似たようなキャリアを歩んでいましたね。今や超一級のシューターたちですら下積み時代があったわけです。
この間、大塚選手は2シーズン連続で3ポイント成功率ランキング2位に入るなど才能の片鱗を見せ始めます。
JBL2シーズン終了後の2012年6月に、bjリーグの宮崎シャイニングサンズにドラフト1巡目指名され、入団を果たし、レギュラーシーズン52試合中50試合に出場しています。得意の3ポイントシュートは、共にチームトップである試投数341、成功数114本記録し、チーム内2位となる出場時間1642分、平均得点12.6点の記録を残しました。
個人成績が好調になってきた一方で、チーム自体は西地区最下位に沈みます。さらにチームの経営難も加わり、このシーズン限りの休会と2014年のbjリーグ退会を余儀なくされました。
大塚選手は自由契約選手扱いとなりますが、大学卒業後の活躍が評価され、6月に大塚選手にとってキャリアの重要な部分を形作ることになる秋田ノーザンハピネッツへ移籍が決まります。
秋田ノーザンハピネッツ時代
秋田では3シーズンを過ごし、「王子」と称され人気を博しました。当時は富樫勇樹選手が在籍した時期でもあり、秋田のバスケットが一気に盛り上がりを見せた時期です。秋田ノーザンハピネッツの地元での人気上昇に一役買ったプレイヤーの1人であることは間違いないでしょう。
当時の映像を学生ながら良くyoutubeとかで見ていたんですが、富樫勇樹選手、田口浩成選手と共に大暴れしてた印象です。w
秋田時代が大塚選手のキャリアにとって如何に大事だったかは、影響を受けた指導者として中村和雄ヘッドコーチの名前ををあげていることからも良く理解できます。
2016年、日立サンロッカーズ渋谷に移籍します。しかしわずか1シーズンでSR渋谷を退団しています。
2017年6月28日に富山グラウジーズへ移籍しています。2シーズンを富山で過ごすことになりますが、1シーズン目39.7%、2シーズン目37.8%という高水準なスリーポイント成功率でチームに貢献します。富山で開催されたBリーグオールスターでは、見事MVP受賞を果たしています。
優勝を求めて、、
強豪チーム増して辻直人選手という日本代表プレイヤーが在籍しているチームでプレイタイムを勝ち取ることは容易なこととは言えません。ニックファジーカス選手が帰化していることもあり、最悪の場合、『オン3』のオプションで大塚選手の出場機会が減少する可能性すらあります。
選手としてはプレイタイムを与えられないことが最も望まない結果に思えます。それでも大塚選手が移籍を決めたのは、プレイタイムを与えられない恐怖よりも、優勝への思いが凌駕したからだとのことです。大塚選手には東海第四時代、東海大学時代、その後のプロキャリアを通じて、大塚選手には自分が主力となって優勝した経験がありません。
「優勝するために自分はやって来ました。」とあるインタビューで明確に語っています。
昨年の天皇杯ではまさに自身が主力として戦って優勝まで後わずかのところでしたね。
また、昨年の1月には、B1通算3ポイントシュート300本を達成しています。
私個人の意見としては、大塚選手33歳というベテランの域に達するものの、まだまだ全盛期を走っているように感じます。
今季はチーム自体は20勝12敗で東地区5位と出遅れてはいますが、プレイオフ入りさえして、チーム状況が仕上がってくれば、十分に優勝も視野に入るメンツであることは間違いありません。大塚選手には、初のBリーグ制覇を目指して走り続けて欲しいですね!!
大塚裕土選手のバッシュは??
調査してみたところ、いくつかあるようですが、NIKE、ジョーダン、KDシリーズ等を着用しているようです。
NikeとUNDEFEATEDコラボ版Kobe
Kobe4シリーズ
KDシリーズ
ご参考までに!