日本代表特集⑦〜渡邊雄太〜Memphis Hustle

渡邊選手を一言で言うならば、「日本人で田臥勇太以来2人目のNBAの舞台に立ったプレイヤー」ではないでしょうか。それに続くように八村塁選手が昨年は躍動してくれましたが、日本バスケ史に今後残るプレイヤーなのは間違いないでしょう。

渡邊雄太選手の生まれ自体は実は神奈川県横浜市なんですね。4歳の時に香川県木田郡三木町へ移住し、小学1年時にお母様が指導していた三木スポーツ少年団で本格的にバスケットボールを始めています。「コーチとしての母は怖かったですね」「でも家に帰れば優しい母でした」なんて当時のことをコメントしているようですね。笑

両親がまた優秀な選手でして、お父様は香川県出身で、かつて日本リーグの熊谷組に所属しており、お母様はシャンソン化粧品に所属し日本代表経験もあったそうです。また、お姉様もWリーグ・アイシン・エィ・ダブリュに所属した過去があります。まさにバスケ一家です。

高松市立牟礼中学校2年生時の2009年3月に香川県選抜チームのメンバーとして第22回都道府県対抗ジュニアバスケットボール大会に出場していますが、この時のポジションはガード。身長も174センチと特別恵まれていた身長ではなかったようです。

全国に名を轟かせた高校時代

2010年4月、尽誠学園高等学校に進学し、その頃に身長は190センチに到達していたようです。1年次よりスターターとして全国大会に出場していますが、尽誠学園高等学校の監督はセンター以外のポジションで起用しました。普通の高校ならセンター起用だったでしょうから、センターポジションだったとしたらアメリカという舞台には到達してなかったかもしれないですね。

2011年にウィンターカップでは、優勝候補の福岡第一高校を破り、なんとダークホースとして次々と全国の強豪を退け決勝まで駒を進めます。決勝の舞台では、ベンドラメ礼生選手率いるインターハイ、国体に続いて三冠を目指す延岡学園と対峙しますが、大差で敗退し準優勝にとどまりました。しかし、2m近い身長でガードのように動ける非常に稀有なプレイヤーとして、全国で注目を集める結果となりました。

2012年3年時のインターハイでは、上位進出有力候補として注目を受けてのぞみますが、埼玉の正智深谷高校を前に屈します。正智深谷高校は勢いそのままにベスト4入りを果たしています。

その年のウィンターカップでは、2年連続決勝の舞台で延岡学園と激突し、激闘の末敗れています。当時延岡学園には寺園選手やバンバ選手が最上級生として在籍しており、非常にバランスの取れた強力なチームでした。渡邊雄太選手はウィンターカップ大会ベスト5に選出されています。

アメリカ留学を決意

高校卒業後の進路については、2012年春までにはアメリカ留学を決意していたようです。周囲には反対の声もあったが、同年夏にはNBA経験のある田臥勇太もアメリカ行きを後押ししてくれたそうで、家族も田臥の言葉を信じてアメリカへの渡米が決まります。

【渡邊雄太 帰国特集】ジョージワシントン大学時代のプレイ集

2013年3月に高校を卒業した後、9月からコネチカット州のセント・トーマス・モア・スクール(プレップスクール、大学進学のための準備学校)に通い、NCAA1部の大学への入学を目指しました。最近だとスラムダンク奨学金でアメリカへ渡米した鍵冨太雅選手(福岡大大濠高校出身)なんかが在籍してましたね。

スクールでプレーした2013-14レギュラーシーズンは、1試合平均13得点、6リバウンドを記録。ナショナルプレップチャンピオンシップ準優勝に貢献し、オールファーストチームに選出されています。シーズン中の2014年2月、NCAA1部のジョージ・ワシントン大学へ進学することが決定します。日本生まれの選手がNCAA DIでプレーするのは渡邊選手で史上4人目だったそうです。

2014年11月のグランブリング州立大戦にてNCAAデビューを果たし、20分間の出場で8得点7リバウンド1ブロックを記録しています。年末にハワイで行われたダイヤモンドヘッド・クラシックの決勝では、逆転スリーポイントなど10得点4リバウンドの活躍で、全米ランク11位のウィチタ大を破っての優勝に貢献します。

翌年の2015年3月のレギュラーシーズン最終戦のマサチューセッツ大戦では、シーズンハイの21得点を挙げています。頭角を現すにつれて徐々に注目度が高まり、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズなどのメディアに渡邊の特集記事が掲載されるなどしています。それと同時に徐々に日本でも、NBAに最も近い日本人として評されるようになってきました。

その年、チームはNCAAトーナメントには進出できもませんでしたが、3月に開幕したナショナル・インビテーション・トーナメント(全米招待トーナメント、NIT)に出場し、1回戦で、ACCに属する強豪校のピッツバーグ大に対し、33年ぶりとなる歴史的勝利をおさめますが、2回戦でテンプル大に敗れ、1年目のシーズンが終了しています。シーズン35試合に出場し、平均7.4得点、3.5リバウンドを記録しています。日本人としては快挙と言えるシーズンだったと言えます。

大学2年の2015-16シーズンも主力として試合に出場し、対戦相手校のエース級とマッチアップする場面や、ガードポジションの選手とマッチアップする場面もあるなど、チームからも信頼を寄せられるようになります。レギュラーシーズン最終戦では、デビッドソン大戦でキャリアハイの22得点を記録しています。

ジョージ・ワシントン大は昨年と同様NCAAトーナメントには進出できませんでしたが、NITで優勝を果たしチームとして存在感を示します。決勝のヴァルパライソ大戦での渡邊の成績は33分出場、6得点、4リバウンド、4ブロック。シーズン38試合に出場し、8.4得点、4.0リバウンド、1.4アシスト、1.1ブロックを記録し、僅かながら前年よりもスタッツを向上させます。

その年の8月、ジョージ・ワシントン大学の一員として日本に帰国し、日本代表と3試合、琉球ゴールデンキングスと1試合の親善試合を行い、主力として日本チームを圧倒します。

この時の動画がyoutube上に上がっているんですが、圧倒的な自力の差を見せつけられている印象でした。現在のA代表に近い布陣だったのですが、インサイドを中心に課題が浮き彫りになりました。この時改めて日本代表が世界で戦うのは難しいんじゃないかなんて考えさせられたのを覚えています。

大学3年目の2016-17シーズンは序盤にふくらはぎを負傷し7試合欠場しましたが、主力として常に相手チームのエースとのマッチアップを担いました。シーズン終了後には、A-10カンファレンスのオール・ディフェンシブ・チームに選出されています。

最終年の2017-18シーズンはジョージ・ワシントン大の3人のキャプテンのうちの1人に就任し、より存在感を高めていきます。12月のモーガン州大、テンプル大との2試合で平均21.5得点、6.5リバウンド、3.5スティール、2.5ブロックをマークし、A-10カンファレンスのプレイヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞しています。

2月のラサール大戦で自己最多を更新する29得点。大学最後のホームゲーム、2月28日のフォーダム大戦でさらに自己最多を更新する31得点を記録し、チームのエースとして奮闘します。

得点、リバウンド、ブロック数はチーム1位で、A-10カンファレンス最高クラスの2ウェイプレーヤーと評されました。シーズン終了後、ジョージ・ワシントン大の選手として初めてA10カンファレンスのディフェンシブ・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞する結果となりました。また、2シーズン連続でオールディフェンシブチームおよびオールサードチームにも選出されています。

NCAAトーナメント出場には至りませんでしたが、大学キャリアを通して心身共に、限りなくNBAに近づくスキルを身に付けたと言えます。

夢のNBAへ

大学卒業後、ブルックリン・ネッツの一員として、NBAサマーリーグに参加することが決まります。その報道を見てとうとう日本人2人目のNBAプレイヤーなるのかと鳥肌が立ったのを覚えています。

まさかそこまでプレイタイムをもらえるとは想像できていませんでしたが、なんと蓋を開けてみれば試合平均なんと24分出場。スタッツは9.4得点4.2リバウンド、1.6ブロックと、一発NBAという結果ではありませんが、十分に評価されるべき記録を残しています。

そして、サマーリーグ後に悲願のメンフィス・グリズリーズと2-way契約とを結ぶことに成功します。10月5日のアトランタ・ホークス戦でNBAプレシーズンゲームに初出場を果たします。

翌10月6日、本拠地メンフィスで行われたインディアナ・ペイサーズ戦では、3Q途中から出場し、終了間際に相手のシュートをブロックすると、4Qではレイアップ、更には日本人として初めてNBAの舞台でダンクを決め、91-94残り7秒で同点となるクラッチスリーポイントシュートを決めました。このクラッチプレイはこの日のTOP2プレイとして紹介されています。オーバータイムになっても渡邊は勢いを維持し1対3からのレイアップに貴重な追加点となるエルボーからのジャンプシュートを決め、11得点を稼ぎ出しNBA日本人初となる2桁得点を記録しました。私もタイムリーにこの試合をみていましたが、めちゃくちゃ興奮させられました。笑 きっと多くの日本人バスケファンにとって忘れられない試合となるでしょうね。

2018-2019シーズンのNBA開幕後の10月27日、チーム5試合目のフェニックス・サンズ戦で初めてNBA出場選手登録されることになります。なんの巡り合わせか、田臥勇太選手がNBAデビューしたのもフェニックス・サンズでしたよね。その日、4Qで途中出場し、2得点2リバウンドを記録。田臥勇太以来14年ぶり2人目となる日本人NBAプレイヤーとなりました。

2019年2月7日のオクラホマシティ・サンダー戦では、自己最長の26分46秒プレーし、自己最多の10得点を記録。NBAの公式戦で日本人が2ケタ得点を記録したのは史上初の快挙です。結局このシーズン中は、15試合に出場を果たします。田臥勇太選手以来止まっていた日本バスケ界の歴史が動き出しました。

【日本人初の快挙 NBA 二桁得点達成!! 渡邊雄太 】

Gリーグのメンフィス・ハッスルでは33試合に出場し、14.1得点、7.3リバウンドを記録しています。

自身2度目のサマーリーグでは4試合に出場し、平均14.8得点、7.3リバウンドと2シーズン目としてかなりのインパクトを残しました。しかし、リーグ開催中、ふくらはぎの怪我を負い、日本代表の活動も控えていたこともあり、大事を取って以降の試合は欠場しています。八村塁選手と並んでこの一年の成長とNBAでもやれるのだと存在感を示したリーグ戦となりました。

初の世界の舞台へ

昨年のワールドカップでは、日本代表選手として初の世界の舞台で戦いを繰り広げました。しかし、皆さんもよくご存じの通り、グループリーグではチェコ、トルコ、アメリカに敗戦し、続く順位決定戦でも勝利を飾ることはできませんでした。

八村塁選手が抜けた順位決定戦後は、素人目ながら日本代表も自身を失ったかのような敗戦ぶりでした。渡邊雄太選手が1人気を吐いていたのがとても印象的です。結果なしにNBA、Gリーグには戻れないと、プレイが物語っていました。

その悔しさを糧に、今シーズンはGリーグでも存在感を強めています。こんな状況下で中断してしまったのが悔やまれますが、20得点越えの試合が8試合、その内の1月23日にはキャリアハイの40得点を記録するなど印象的な試合が多かったです。活躍していただけに、来シーズンの契約状況が良好なのを祈るばかりです、、、

東京オリンピックが開催されたとしても、、、

そもそも東京オリンピックの開催自体が危ぶまれていますが、NBA契約選手である以上、出場できない懸念があります。

以前別記事でも紹介しましたが、NBAの莫大な放映権料、ビジネス市場の兼ね合いから、NBAのシーズン、プレイオフを開催しないということは、まずあり得ないようです。

現時点でもシーズンの予定がずれ込んでおり、来シーズンのスケジュール自体もずれ込む可能性があります。その場合、オリンピックよりもNBAスケジュールが優先され、NBA選手が国の代表に招集されない可能性が高いです。正確には不透明と言う方が正しいですが、不規則なスケジュール感の中で、選手に怪我を負わせたくないというのもチームの本音としてはあるでしょう。

渡邊雄太選手も2way契約選手である以上例外ではなく、現時点ではオリンピックの舞台では見れない可能性があります。

個人的には、チケットを持っているだけに正直悔しいところですが、これから迎えるであろう日本代表の全盛期にむけてふつふつと準備を整えて欲しいですね。

日本代表特集⑦でした!!

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