日本代表特集⑤〜竹内公輔〜宇都宮ブレックス

竹内公輔といえば、弟の竹内譲次選手とともに日本を長年支えてきたビックマンです。竹内兄弟を聞いたことないバスケット経験者は少ないんじゃないでしょうか。

何と卓球部だった過去が、、

吹田市立佐井寺中学校に入学と兄弟揃ってバスケ部に一度は入部するも、すぐに友達が多く所属していた卓球部に編入部したようです。今を知る私たちにとっては驚愕の事実です。笑

卓球では吹田市選抜に選ばれるほどの実力の持ち主だったそうです。ただ、当時はスラムダンクブームの最中だったこともあり、周りの声や、竹内譲次の声にも後押しされ、中学3年時に卓球から弟の譲次が所属するバスケ部へ再び入部を果たしています。本格的にバスケを始めたのはこの14歳の時だったこともあり、大阪選抜等には選ばれていません。兄弟共に口にしているようですが、当時はサイズだけの選手だったとあるインタビューで語っています。

京都の猛者洛南高校へ

2000年、弟の譲次とともにスカウトされ京都府の名門である洛南高等学校へ越境入学を果たします。3年最後の大阪府大会で洛南の当時の監督の目にとまったことが、入学のきっかけになったようです。

弟の譲次と共にツインタワーとして全国にその名を轟かせます。

2002年高校3年時にウィンターカップ初優勝を果たし、同年高知国体高校男子の部優勝を果たしています。

同年、ジュニア日本代表に選出されており、竹内兄弟初の代表経験となったと言っていいでしょう。アンダーカテゴリーから数えると20近く日本代表を支えているんですね。バスケットを本格的に始めて3年ほどで日本代表に到達しているというのも驚異的です。

それぞれの道へ

2003年、弟の譲次とは別の大学である慶應義塾大学総合政策学部へ進学、慶大バスケ部に所属します。現在は2部に降格していますが、インカレ優勝7回を誇る名門校です。

竹内譲次編でも述べましたが、結果それぞれのプレイスタイルが確立し、兄弟別の選択をしたことが良い方向に働いたのではと感じます。

同年チームを11年ぶりに関東1部昇格に導き、2004年シーズンは昇格1年目で慶大を関東1部優勝と45年ぶりのインカレ優勝の、いわゆる「二冠」に導き、リバウンド王も獲得しています。さすがとしか言いようがないですね。

2005年にリバウンド王を獲得。2006年は残念ながらインカレ準優勝という結果に終わりますが、自身はリバウンド王および敢闘賞を獲得しています。

特に2007年大学4年時にオールジャパンベスト8に貢献し、準々決勝で弟の譲次のいる東海大学に敗れたものの自身は弟の譲次とともにベスト5に選出されています。

ユニバーシアード代表には弟の譲次とともに2003年大学1年から選出され、日本代表には続く2004年の大学2年時からジェリコ・パブリセヴィッチヘッドコーチに抜擢されています。「この2人がいるうちが日本のチャンス」と当時は言われていたそうです。

2006年世界選手権や2006年アジア大会のメンバーに選ばれています。世界選手権では、1勝しかあげることが出来ず、世界との壁を大きく感じる結果となりました。本人もあるインタビューで「自分のプレーが通用せず何も出来ないまま終わってしまった」とコメントしています。

2007年にはU-24日本代表としてユニババンコク大会に出場しベスト4入りを果たしています。

順当にエリートコースへ

2007年、アイシンシーホース(現シーホース三河)とプロ契約を結び入団を果たします。2007-2008のレギュラーシーズンでは平均1.77でブロックショットリーダーとなり、才能を遺憾無く発揮します。

これらの活躍により弟の譲次とともにJBL新人王、ベスト5に選出されていっます。2008-2009のレギュラーシーズンにも、平均1.89で2年連続でブロックショットリーダーとなり、MVPを初受賞することとなりました。

翌2009-2010年も2年連続でMVPを受賞、ブロックショット王及びベスト5もルーキーイヤーから3年連続で選出されており、まさに輝かしいキャリアと言えるでしょう。日本に在籍している外国籍選手と競り合いながらこういった成績を残せるのは、才能はもちろんですが、本人の努力の賜物ですね。2006年世界選手権の経験による影響も少なからずあったのでしょう。

日本代表にも引き続き選出され、2007年アジア選手権/2010年アジア選手権に出場しています。

サマーリーグへの挑戦

2010年7月、NBAサマーリーグにミネソタ・ティンバーウルブズの一員として参加しています。期待のかかった渡米ではありましたが、残念ながら昨年の八村、馬場、渡邉のような活躍を残すことはできませんでした。

【サマーリーグに挑戦した男たち】田臥勇太 竹内公輔 富樫勇樹

やはり一言で言うのであれば、日本人らしい気質でプレイしてしまったというのが結論ではないかと感じます。ただ、これを糧に結果を残したのが昨年活躍を見せた上記3人なのではと感じます。代表でプレイして先輩からサマーリーグに関しての話を聞いているでしょうからね。

活躍とは裏腹に苦悩も

2011年、さらなる成長を目指してトヨタ自動車アルバルク(現アルバルク東京)に移籍しています。

しかし、移籍後の2011-12シーズン、竹内公輔選手自身初の大怪我を負い離脱しています。シーズン終盤には復帰し、同シーズンでの優勝に貢献していますが、以降も怪我を多く経験している印象です。

2014年、アイシンや日本代表で共にプレーした佐古賢一が率いるNBLに新たに参入する広島ドラゴンフライズへ移籍、この年にチーム史上初のオールジャパン決勝進出に貢献し自身もベスト5に選出され、PO進出にも貢献しましたが、PO初戦で右アキレス腱の断裂により離脱しています。

2016年栃木ブレックスに移籍をし、Bリーグ元年を迎えます。記憶に新しいBリーグ初代王者への未知に大きく貢献します。平均スタッツ7.7得点、6.3リバウンドと突出している訳ではありませんが、チームメイトの田臥勇太選手と共にチームを牽引する支柱として存在感を示しました。Bリーグになってからは、広島にいた時よりも得点を求められなくなったのか、平均一桁台で今シーズンまで推移しています。必要とあらば得点できるスキルはまだまだ衰えている訳ではないと感じます。

再び世界へ挑戦するも、、、

復帰後調整ののち、リオデジャネイロオリンピックアジア最終予選のメンバーとして日本代表に選出されます。しかし、突きつけられたのは、やはりインサイドの壁でした。2006年から日本代表も進化していましたが、それは世界も同じ。当時ライブ配信で試合を見ていましたが、リバウンドが取れず、インサイドにディフェンスが収縮することにより3Pを打ち抜かれるなどかなりの差を見せつけられた印象でした。比江島慎選手や、田中大貴選手なども頭角を現してきていけるのでは、、、なんて感じてたんですが、オリンピックは甘くはなかったですね。

昨年のワールドカップでは、日本代表として結果を残すことが出来なかったものの、世界とも戦えるぞという気迫を見せてくれました。2006年から見てきた私には感動ものでした。

悲願の次世代の台頭

正直、竹内兄弟に替わるプレイヤーが出てこないことが日本の一つのテーマだったように感じますが、出てきましたね。八村兄弟が。笑 

兄弟という部分は差し置いても、長年待ちわびていたインサイドプレイヤーと言うには贅沢な存在が育ってきています。特に弟の八村阿蓮については、代表経験を豊富に積んで、竹内兄弟から多くを吸収し、世界で戦えるプレイヤーとして成長していって欲しいですね。ベテランの域に達した兄弟に課せられる次の責務でしょう。

ただ一方で、年齢的な部分を考えると、若手も台頭し帰化枠が行使されることを考慮すると、兄弟揃っての代表選出というのは昨年のワールドカップが最後だったかもしれません。リーグでの活躍はまだまだ続くでしょうから、折茂さん目指して頑張って欲しいところです。笑

日本代表特集⑤〜竹内公輔〜宇都宮ブレックスでした!!

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