正直自分は大のコービー好きかと言うとそうではありません。どちらかと言うと、嫌いな方だったかもしれません。
友人とバスケのテレビゲームをすればコービーが立ちはだかり、セルティックスを推してた高校時代には、常にコービーが立ち塞がりました。スキャンダルやチームメイトとの不仲な話を見聞きすることもしばしば。
どこか毛嫌いをしていました。
しかし、いざ時を迎えてみるとどうでしょう。大事な人を亡くしたかのような喪失感に襲われました。多くのファンの方にとってそうだったように、大のバスケ好きの自分にとっても欠かすことのできないプレイヤーだったんだなと切実に感じます。
もろ自分がバスケに打ち込んでたころの世代で全盛期を見てきたレブロンが去る際も、きっと似たような感情になるのではないかなと思います。
如何にコービーが偉大で、バスケをやってきた人なら一度は憧れたことはあるでしょう。
そんなコービーのキャリアを少し振り返ってみたいと思います。
コービーは、1996年のドラフト1巡目13位でシャーロットホーネッツに指名されます。その後、トレードによりレイカーズへ入団を果たします。
シャキールオニール獲得のためにサラリーキャップを削減するためのトレードだったといわれていて、NBAの中でもとても重要な巡り会わせだったと言えます。
コービーが13位というのは意外でなりませんが、当時、高校卒業からのNBA入りというのかかなり希少だったようです。また、1996年のドラフトは過去のNBAの歴史の中でも稀に見るスター候補そろいだったことも重なり、そのような指名順位となりました。
ちなみにその年のドラフト選手はと言うと
アレンアイバーソン、レイアレン、デリックフィッシャー、スティーブナッシュ、ジャーメインオニール、ステファンマーブリー、アントワンウォーカーなど、名だたる選手が挙げられます。
ルーキーイヤー、セカンドイヤー
ルーキーイヤーは才能を見せる場面は多々あるものの、スタート起用は6試合のみでした。71試合に出場し、平均得点6.7点を記録します。
ほぼ高校生がNBAでって考えると十分すごいんですが、レブロンのルーキーシーズンの20.9得点と比較すると如何にレブロンがぶっ飛んでるかがよく分かりますね。笑
ルーキーシーズンから名将フィルジャクソンに、非常に練習熱心な選手と言わせる程に、マンバメンタリティを当時から発揮してたようです。
セカンドシーズンは、79試合に出場しながら、シーズン平均得点2ケタの15.4得点とし、スコアラーとしての存在感を徐々に見せ始めました。
これだけの活躍を見せながらも、スタート起用は1回にとどまります。彼の全盛期を見てる人からは信じられないような結果ですね。
一方でコービーは、このシーズン、レイカーズでは控えにもかかわらず、ファン投票によりNBA史上最年少でオールスターに選出されます。しかもなんと先発出場という異例の出来事となりました。
コービー自身もシーズン途中までは平均20点近い得点を挙げ、シックスマン賞は確実とされていましたが、シーズン後半に調子を落とし、記者投票で2位に終わっています。
シャックとの摩擦が噂されるようになる1998-1999シーズン
1998-1999シーズンでは、レイカーズの先発を完全に奪います。成績を19.9得点5.3リバウンドまで伸ばし、自身初のオールNBA3rdチームに選出され、コービーにとって躍進の年だったと言えるのではないでしょうか。
一方で、皆さんも良くご存知かとは思いますが、彼の活躍、人気が増すごとに、シャキールオニールとの摩擦も大きくなった時期とも言われています。
レギュラーシーズンでは、高い勝率を残すもののプレーオフで結果を残せず、スパーズにスウィープ負けを喫します。
プレイオフ三連覇達成
翌年、フィルジャクソンがヘッドコーチとして起用されます。
フィルジャクソンのコーチングにより、レイカーズは徐々にコービーとシャックが共存する道を見いだします。
快進撃を始めたレイカーズは、シーズンを終えてみれば67勝15敗と圧巻の成績を残します。
コービー自身もこの年、シーズン平均得点22.5得点を達成し、守備面でも躍進を見せます。オールNBA2ndチーム、また、NBA史上最年少でオールディフェンシブ1stチームにも選出されています。
チームはその勢いのままにレジーミラー擁するペイサーズをくだし、優勝をします。
二連覇を果たした2000-2001シーズンは、平均28.5得点とコービー自身も絶好調。私生活ではこの年に結婚をしています。妻ヴァネッサさんですね。出会いはコービーが1999年に音楽活動をしていた時期、ヴァネッサさんがPVで出演しコービーが一目惚れをしたんだとか!
このシーズンのファイナルは、アイバーソン擁するシクサーズでした。私自身がNBAを見始めたのは、まだこの後の話ですが、このファイナルの動画は飽きるほど見ました。笑
三連覇を果たした2001-2002シーズンは、ジェイソンキッド率いるネッツと対戦し、スウィープ勝ちをします。
こうして当時23歳だったコービーは、3回の優勝を経験した史上最も若い選手となりました。
王朝の崩壊
翌2002-2003年シーズンは、コービーとシャックの不仲による影響、三連覇したことによるモチベーションの低下などが影響したと言われていますが、50勝32敗と波に乗り切れないシーズンとなります。
翌年はオフにカール・マローンとゲイリー・ペイトン、2人のビッグネームを獲得するという大型補強を行いますが、ファイナルでピストンズに1勝4敗と王座奪還を逃します。そしてこの年は、ご存知の方も多いと思うので深くは語りませんが笑、コービーはコート外のスキャンダルで、コートと裁判所を行き来する生活を送っており、シーズンを台無しにしてしまう残念な時期でもありました。
2004年のオフシーズンには、内部崩壊をしていたチームに、コービーがシャックを取るか自分を取るのか選択肢を迫ります。結果としてチームはコービーを選択し、シャック、フィルジャクソン、マローン、ペイトンを手放します。
チームとコービーは王朝復活に向けて走り出しますが、2007-2008シーズンまでは苦悩が多く、低迷の続く期間となります。
一方で個人スタッツは年々向上を続け、2005-2006シーズン1のトロント・ラプターズ戦で達成した81得点や、チェンバレン以来となる1シーズンで50得点以上を10回記録など、スコアラーとしての価値を高めていきます。
一方で、ボールを持ちすぎるなど、批判も多くなってきた時期と言えます。
2007-08シーズン 王朝復権の兆し
新シーズンが始まるとコービーは以前にも増してリーダーシップを発揮するようになります。
開幕前に3シーズンレイカーズから離れていたフィッシャーも復帰、シャック以来のオールスター級のインサイド パウガソルの加入など、好材料が重なります。
個人的にもコービーは、28.3得点6.3リバウンド5.4アシストを記録し、念願のシーズンMVPを受賞しています。
チームはこの年、5年ぶりのファイナル進出を果たし、セルティックスに屈したものの、翌シーズンに期待のかかる結果となりました。
王朝復権、そして連覇へ
シャックが居なくても優勝できることを証明した2年だったと言えるでしょう。
マジック、セルティックスをくだし、チームは2年連続で優勝を果たします。
コービー自身ははファイナルMVPを2年連続受賞し、メンタル的な部分を考慮すると、コービーの全盛期だったと言えるのではないでしょうか。
一方で、右手人差し指を剥離骨折や、右指に神経を使いながらプレーするあまり、足首、膝、背中を痛めてしまうなど試合毎に怪我が蓄積させていきました。プレイオフを終える頃に、31歳のコービーの体は、満身創痍の状態だったようです。
怪我にも屈さないマンバメルタルティ
翌年のファイナルは、キッド、ノビツキー擁するマーベリックスにスウィープ負けを喫しますが、この時点で、3年連続でのNBAファイナル出場や北京五輪出場といった度重なる連戦により体を酷使していた影響があり、右膝の軟骨が磨り減ってほとんど無いような状態になってしまっていたようです。
コービーはチーム練習にもシーズン通して参加出来ないような状態で、ジャクソンHCはコービーの出場時間をセーブするという方法を取っていました。
私自身も膝の前十字靭帯を断裂した経験があるので、膝の軟骨を失う恐怖はよく分かるのですが、このコンディションで結果を残し続けたコービーのメンタルは、想像を絶しますね。笑
マンバメルタルティと一言に集約させるほか、良い表現が見出せません。笑
翌年は、プレシーズンマッチで右手首の靭帯を断裂してしまいます。またしても怪我を抱えながらシーズンを戦う事となってしまいました。
そんなコンディションですが、デュラントに次ぐ2位の27.9得点のシーズンを終えます。凄まじいですね、、、
2012-2013シーズンには、試合中にアキレス腱を断裂します。今も語られるアキレス腱断裂の状態でフリースローを決めるシーンは彼の生き様を物語っていますよね。あの光景は一生忘れることはないと思います。
2014-2015シーズンは、左アキレス腱の断裂から8ヶ月かけて戦列復帰しましたが、グリズリーズ戦で相手選手との接触プレーで右膝を負傷し、脛骨プラトー骨折と診断され再び欠場を余儀なくされます。
2015-2016シーズンも左アキレス腱の完全断裂と右膝の脛骨プラトー骨折という2つの大怪我から、約1年ぶりに復帰を果たします。
この年、マイケル・ジョーダンのシーズン通算得点の32,292得点を上回り、通算得点歴代3位に浮上しました。
しかし、ニューオーリンズ・ペリカンズ戦で、右肩を負傷し、手術が必要と診断され3シーズン連続で、大怪我によるシーズン途中離脱となりました。
この試合も当時見ていたのですが、コービーがなんとも言えない表情を見せたのを覚えています。
キャリア終盤に差し掛かってきたことを感じぜざる終えませんでした。
引退
度重なるケガやバッシングの中、2015-16シーズンに再度復帰を果たしますが、開幕から約1ヶ月が過ぎたころに、コービーブライアントは2015-16シーズンを最後に引退することを表明しました。
引退を表明した後のシーズンをどのようにプレイしていくのか世界中から注目が集まりました。
ラストシーズンでは大きな怪我もなく66試合に出場し、平均得点17.6得点というスタッツを残します。37歳で上記のように幾度となく怪我から這い上がり、このスタッツを残したのは、他の選手では考えられないのではないでしょうか。
そして現役引退最後の試合では60得点をするという快挙を成し遂げました。当時大学生で時間もあったので、フルでゲームを観ていたんですが、コービーの魅せる勇姿に思わず涙してしまいました。
調べたところによるとコービー引退時の着用バッシュは、Kobe 11のようです。参考までに。
軽くコービーについて語るつもりでしたが、面白くなって長々とキャリアについて書いてしまいました。笑
彼のキャリアを振り返ってみると知っていることが多く、私自身のバスケットライフに大きく関わって影響を受けていたんだなと、改めて考えさせられました。
最近出会ったバスケ仲間とも、コービーの話題で盛り上がれるんですよね。気付いたらその話を経て盛り上がり、仲良くなってます。笑
戦っているフィールドは違いますが、彼のマンバメンタルティは学ぶべきところが多いなと感じます。
彼の著書、失う勇気も近々読んでみようかなと思っています。
そんな彼の意思を感じながら、今シーズンのオールスター、レイカーズの躍進劇も楽しみます!
ありがとうコービー