所属・背番号:横浜ビー・コルセアーズ・21
出身中学・高校・大学:京北中学→京北高校→オローニ短大→ドミニカン大学カリフォルニア校
前所属:なし
誕生日:1993/6/29
身長・体重:180cm・82kg
ポジション:PG
今シーズンに入ってから二桁得点を連発しています。11/3(土)の新潟アルビレックスBBの試合ではBリーグキャリア初のダブルダブルを達成し、今後の活躍が期待されるプレイヤーです。
彼の京北中学、京北高校時代は異次元でした。
京北中学時代は得点を取らせれば50点を叩き出すことも多々。まさにスコアリングマシーンでした。中学3年時の全中でも全試合のアベレージ39得点。京北中学1年生時に3位、2年生時に準優勝、3年生時に準優勝の成績を残しています。富樫勇樹との関係はこの頃からのものです。
京北高等学校に進学し、ウィンターカップでは能代工業相手に1年生ながら20得点7アシストの活躍を見せるなど超高校級プレイヤーとして存在を示します。
池田慶次郎(京北中学 京北高校 早稲田大学)との2ガードは見るものを惹きつける超攻撃的なスタイルでした。
ここ最近の高校バスケットのトレンドではオンボールピックのシチュエーションが増えましたが、当時彼ほどにピックアンドロールのプレイからスコアリングするプレイヤーはいなかったと思います。
3年時はシェリフソウ率いる沼津中央高校(静岡県代表)のもとに屈し、高校バスケットにピリオドを打ちます。【1年生時ウィンターカップベスト8 2年生時沖縄インターハイ3位ウィンターカップ3位 3年生時ウィンターカップベスト8】
大学は親友の富樫勇樹の姿を追うようにアメリカへと渡ります。しかし、当時入学予定だったプレップスクールを諦め、浪人生活を送ることになります。
浪人生活という苦渋の決断〜アメリカ大学時代
プレップスクールへの進学を決め、準備を整えていたところに、驚くべきどんでん返しが起きます。入学を間近に控えた8月、学校の方針が突如変更になり、推薦入学が決まっていた田渡にも「TOEFL」での一定のスコア(かなりの高得点)を取ることを学校側は求めました。苦渋の決断により、彼は浪人という選択肢を選択します。翌年1月末には再渡米し、午前中は現地で英語を勉強し、午後は下宿先の主であるワークアウトコーチのスキルトレーニング指導を受ける日々を送ります。
浪人生活を経て彼が選択した大学はカルフォニア州サンフランシスコにあるオーロンカレッジでした。2年制の短大で、近年10年間で5度のリーグ優勝を誇っている学校です。そこでキャプテンを務め、見事ディビジョンⅡのドミニカン大学への編入を成し遂げます。ドミニカン大学でも彼はキャプテンを務めあげます。彼がアメリカで大きく成長した部分はやはりキャプテンシーや、メンタルな部分なんじゃないかなと感じます。
Bリーグ1年目は、、、
そんな彼ですが、昨シーズン、Bリーグデビューの年は本来の持ち味を出しきれないシーズンだったのではと感じます。
17-18シーズンのスタッツを見ると
PTS6.4 AST3.0 と彼の学生時代の活躍からすると少し物足りないように感じます。
本人もコメントしていますが、アメリカでは自身よりサイズの大きい選手を相手にすることが多く、自身よりサイズの小さく素早い選手を相手にする機会がなかなかなかったようです。
同じ横浜ビーコルセアーズのエース川村卓也とのバランスもあり、彼がチームで得点を意識するのが後手に回っていたのは間違いないと思います。
今後の日本代表入りが期待されるプレイヤーの1人。
そんな彼もBリーグキャリア2年目に突入。今年はプレイタイム、得点共に安定してきています。トー・マスウィスマンヘッドコーチのもとで成長し、日本代表監督のフリヒオ・ラマスヘッドコーチに候補選手として招集される日も近いのではないでしょうか。
篠山選手の次世代ガードとして富樫選手とツーガードで出場する姿なんてのも見てみたいものです。
一方で、その次の世代のガード陣も着々と頭角を現しています。テーブス海(同じ京北高校に2年時まで在籍)、中村太地(法政大学3年、横浜ビーコルセアーズ特別指定選手)、ハンター・コート(横浜ビーコルセアーズ)、田中力などなど。田渡選手がA代表の選手としてピックアップされるにはより一層の精度のスコアリング能力と経験値が必要でしょう。
私も同世代で都内の学校に通ってバスケットをしていたので、6年間彼を見てきました。引退試合は京北高校でした。その頃からファンです笑
中学時代のスコアリングマシーンっぷりはいつかYouTubeにアップしようと思ってますので、お楽しみに!